誰かに執着して身を焦がすのは、自分の人生が充実しておらず、暇な人間のすることだと誰かが言った。
私はそうは思わない。
最近そう思えるようになった。
誰かを愛することで、とてもパワーが湧いてくる。
あの人がいなければ生きていけない。
それは、あの人が私に何かしてくれたからではない。
愛の器に相応しいのはあなただからだ。
中途半端な恋では本気になれない。
自分と同じくらいにしつこくて、愛し愛されることを重要に感じている人でなければ、心に火がつかない。
だから、1人でいい。
人生に1人でいいから、本気になれる人が必要なんだ。
これ以上はもう好きになれないほど。
狂気の愛。
憎しみ、怒り、嫉妬心。
それさえも、あなたと私の間を取り持つ綱になり、
決して切れることのない感情の繋がりになる。
この世の中は、愛情関係は結婚として証明することがわかりやすいように作られている。
結婚なんか、私にとっては人生の一部分。あくまで生きていくために必要な一部。
結婚は悪いものじゃない。
色んないいこともある。
何かを強化する上で良い土台になるものだ。
しかし、愛情と結婚生活は別物だ。
愛情は、生きていく上でこんなにも膨大なエネルギーを費やすものであるから、
やはり自分の道を突き進むべきだと思う。
自分の持てる愛情の総量と向き合う時、
自分の胸の中を一番重視する。
世間からどう見られるかでもない。
家族、自分の役割、
ましてや恋の相手の視点でもない。
ただ真っ直ぐに思えばいい。
愛したいように愛せばいい。
腹の中で日々温め続ければいい。
その人を愛したいのだから、四六時中考えていればいい。
相手を好きでいる自分を許せばいい。
自分を疑う必要もない。
自分を憂う必要もない。
この世で1番の苦しみは、愛したい人をもう愛せないこと。
このままでは苦しくて死んでしまうから、
もうその人を愛すことが叶わないなら、受け入れてくれる人を求めてまた歩き始めよう。
その人以外を愛せないのなら、生涯を賭けよう。
私はまだ、器がいないのに愛し続けたことがない。
離別があっても続くのは相当な愛だ。
幸せとはなんだろう。